盗む
あるシーンをカットを割って撮影する際に、次のカットでは、前のカットで撮影したフレーム内の人や物の位置関係を変更して撮影 することで、よりリアルであったり、効果的な演出をすることを言います。
これは我々のような企業ビデオ制作においては、例えば撮影先の役員室で1台のカメラでインタビュー撮影をした後で、インサート撮りのためにカメラを移動させたら、どうしても微妙な位置に家具が見切れてしまうので、家具をわらって撮影することを言います。あるいは別角度からの構図がどうしても寂しい画になるので花瓶の位置をずらして入れる、と言う場合に使います。編集して繋いだ時に違和感がなく、むしろスッキリする、わかりやすいという場合に利用する方法です。
拡大解釈?
インサート素材のために、そこに無いものを撮ることを「盗む」というディレクターがいました。この用法はちょっと違うような気がしますが、いずれにしても事実に無いことを持ってくることから「盗む」という表現が使われるようになったのかも知れません。ある意味で原始的なフェイク動画の手法ですので、事実誤認が生じないような配慮は必要です。
注:このサイトでは筆者の意見を加えていますので一般的な解釈とは異なることがあります。
映像制作会社としての視点
なぜ「盗む」という言葉を使うのか
現実からの逸脱という自覚
同一シーンの連続性は、本来保たれているべきものです。人物や家具の位置は変わらないはずです。それを編集効果のために少し動かすということは、現実の連続性から意図的に逸脱するということでもあります。
その「本来は変わらないものを動かしている」という自覚が、「盗む」という言葉につながったのではないかと思います。堂々と演出と言い切るには、どこか後ろめたい。その感覚が、語感に表れています。
体系化されていない現場の技
照明やレンズ選択のように理論化された技術とは異なり、この行為は現場の判断に委ねられます。状況に応じて、その場で微調整する。明文化されたルールではなく、経験則の延長にある技術です。
だからこそ、整った名称ではなく、やや荒っぽい言い方が残ったのだと考えられます。
編集という行為との連続性
映像制作そのものが、現実を切り取り、並べ替える作業です。時間も空間も、そのまま提示されることはありません。必要な部分を抜き出し、不要な部分を省きます。
位置を少し変えるという行為も、その延長線上にあります。完全な創作ではないが、完全な記録でもない。その中間にある操作を、あえて率直に表現したのが「盗む」という言い回しなのかもしれません。
倫理へのブレーキとしての言葉
もうひとつ考えられるのは、言葉自体がブレーキの役割を果たしているという点です。「盗む」と言うことで、自分たちが現実をわずかに改変していることを自覚できます。
もしこれを「最適化」や「整理」と呼べば、行為は無色透明になります。しかし「盗む」と言うことで、やりすぎてはいけないという意識が残ります。言葉の中に、倫理的な緊張感が含まれているのです。
事実を壊さない範囲で整える。しかし整えているという自覚は失わない。その微妙なバランスを忘れないために、この少し乱暴な言葉が使われ続けているのではないでしょうか。

